演奏活動を始めてからよく、ピアノをはじめたきっかけであるとかを聞かれる機会があり小さい頃のことを最近になって思い返したりしています。
振り返ってみると、物心つくかつかないかの小さなころから弾いていて、それはとても自然なことでした。私の中で特別なものではありませんでした。それ由、音楽の記憶はいつも漠然としているーけれどそれは確かに私の生活であって、他にかえのきかないものでした。
そして学問として音楽を勉強するようになり、演奏が評価の対象となることに戸惑いを覚えながらも支えになったのは、結局はその「音楽」でしかなく、理屈なんかのいらない、音の美しさだったと思い出します。
そして今、人前で演奏をするようになって不安に思ったり、迷ったりすることもあります。
そんな時、私が思い出すのは生きた音楽を持っている、沢山の先輩達の存在です。
彼らは私に音楽のすばらしさをそれぞれの「言葉」でもって示してくれました。
例えば、フランス人のピアニスト、コルトー。私にとっては歴史上の人という存在の方が同時代に生きた方の話をじかに聞くことによって、ただCDを聞いたりするときと違った、私の中により確かなものとして彼の存在があったりするのです。
グールドの演奏もそのまま録音で聞くのではなく、彼の姿勢に共感した人の演奏を今に聞くことで(それはその人の中で当然消化された形になっていなければいけませんが)それは単なる“凄い人”としてではなく、リアルなものとして私に届くのです。
また、学生時代、ラジオも良く聞きました。たくさんの音楽が流れるため、いろいろな音楽に出会うことができました。そのきっかけも、その曲を紹介する人が本当に好きで掛けているものであれば、それまでに興味の無かった曲であっても好奇心、時には好意を持って聞き、そこからまた音楽の世界が広がっていくこともありました。
そんな訳で、私の中では「偉大なるもの」というだけで選ぶのではなく、もっと身近な人が本気で感動したり、涙したりの音楽を、大切なものとして感じていたいのです。それを通過したものを信じていたいのです。
人を通して、受け取り、そしてそれをまた次の人に受け渡していく、それこそがいつの時代でも変わらない真実だと思いますし、それは音楽の伝わり方もどんな録音や映像があっても、今、目の前にいる人に語りかけられるのは今を生きている人だけなのです。
その重さも感じつつ、私がこれまでに受け取り、感じたたくさんの音楽のすばらしさが演奏するという行為によって、多くの人に伝わればと思いますし、また、そうすることによって得られる音楽の世界もあるでしょう。それもまた私は楽しみにしながら、深いふかい音の世界を歩んでいけたらと思っています。
私自身の思いはこのようなものですが、みなさまには音楽をご自身のものとして楽しんでいただけたらとてもうれしいです。
ということで、末永くお付き合いいただければ幸いです。
どうぞこれからよろしくお願い致します。
下田 聖子
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